気温も下がり、過ごしやすくなってきました。芸術の秋のお供に、ということで、今回は映画と小説を1本ずつご紹介します。関連のない2作ですが、「癒し」「出会いにより書き換えられる物語」という共通点があるように筆者は思います(詳細は書いていませんが、特に2作目の小説の方はややネタバレを含みますので、ご了承ください)。
1作目は『落下の王国』という映画です(2006年公開、ターセム・シン監督)。舞台は1915年のロサンゼルスです。映画のスタントマンであったロイは、撮影での大怪我により下半身不随となり、恋人を主演俳優に奪われて自暴自棄になっていました。彼の入院先に、オレンジの収穫中に梯子から落ちて腕を折ってしまった移民の少女アレクサンドリアがやってきます。ロイはアレクサンドリアを利用して自分の目的のために彼女に取り入ろうと即興のおとぎ話を語って聞かせるのですが、彼女はただ素直にお話を楽しみにしロイを慕うようになり、ちょくちょくベッドサイドにやってきては感想やアイデアを自由に挟みつつ、創作に参加するようになります。二人の間で特に意識はされませんが、映画が進むにつれ、ロイの打算から生まれた物語が実は彼にとっては傷を癒す旅であったことがわかってきます。アレクサンドリアは自分自身の大切なお話として、旅路を共にするようになっていきます。一番の見どころは二人の心の旅ですが、お話の旅の仲間と一緒に世界各地の雄大な景色を巡っている気分になれるのもおすすめポイントです。配信サービスにあまりない作品なのですが、レンタルなどで機会がありましたら是非。
2作目は、『私自身の見えない徴』という小説です(日本では2006年に出版。エイミー・ベンダー著、菅啓次郎訳。)。主人公・モナは10歳の時に父が原因不明の病にかかって以降、好きなことを「やめること」をはじめ、残ったのは木をノックすることと数学だけでした。20歳を過ぎた時、モナは小学校の算数の教員となります。個性豊かで思い思いに行動する子どもたちに手を焼く日々の中、閉じかけていたモナの心は世界に向けて開かざるを得なくなっていきました。うち、リサという生徒は癌を患う母との別離の不安や悲しみを様々な行動で表現していました。モナはリサのことが自分と重なり気にかけていましたが、同時にリサも、木をノックするというモナの儀式のような行為に気づいていました。リサが喪失への不安を抱えきれなくなった時、モナはリサを抱きしめ、かつて父から語ってもらった物語に少し変更を加えて語り直します。もとは、ある家族が自分達なりに犠牲を最小限にする方法を話し合って窮地を切り抜けようとするも、周囲からは奇異の目で見られ別の街へ出ていくお話でした。改変後のお話では、家族皆それぞれが、犠牲を払うことなく、自分の意志で生きる場所を選ぶのでした。子どもたちの純粋で率直なことばや行動がいきいきと描かれているのも魅力です。モナはこんなエネルギーの塊に触れるような感じで彼らと会っていたのかな、と追体験できるように思います。こちらは書店、図書館で手に取れる作品です。
心理支援の場では、箱庭療法やプレイセラピーなどの中で、現実での危機や問題を作品や遊びという形で体験し直す、ということが起こります。日常と少し離れたところで、自分の受けた傷やこれまでの奮闘ぶりを振り返り、その過程でしんどさがより感じられるようになることもありますが、見つめ直すことで距離を取れたり、自分なりに対処したかったことを想像の中で試してみたりすることで、ある程度表現を続けた時に回復してゆく、ということがあります。日常の中でも、絵や小説など、作品を作ったりすることや、何気なく想像をめぐらしたりするなども、同じ作用があるように思います。他者の作品を見たり読んだりする時にも、シンプルに現実と違う世界を思いきり楽しむこともできますが、登場人物の癒しの過程を味わったり、自分も重なるテーマがある時には、一緒に癒されたりすることもあります。ご紹介した2作は、そのように色々に楽しめる作品であるように思います。
