朝の通勤電車の中の話です。今朝は救助が必要な人がいたため電車は遅れ、いつも以上に混んでいました。途中の駅から乗ってきた家族がいました。子どもの乗ったベビーカーを押し、まだ小さい子を母親が抱っこし、父親は大きなスーツケースと大きなリュックを背負っていました。私の席からはその家族が乗車した姿がチラッと見えただけでした。電車が駅に停まるたびに乗車する人が波のように押し寄せてきます。家族が乗った駅の次の駅で大きな人波が押し寄せ、「きゃっ」と赤ちゃんを抱っこしている母親の声が聞こえてきました。おそらく乗車した人の波にもまれているのでしょう。私はいてもたってもいられず、とりあえず父親らしき人の手をたたき、「ここに座ってください」と声をかけましたが、なかなか人混みの中をかき分けて座席にはこれない状態でした。ようやく赤ちゃんを抱っこした母親が席に座れたときにはほっとしました。心の中では、「もっと早くママを座らせてあげればよかった。ごめんなさい」と思いましたが。
さて、人を援助する行動がどうやって生じるのかを説明したものに「共感愛他性説」というものがあります。
この説によると、困っている人に共感すると、心から相手を助けてあげたいという気持ち(愛他心)が湧いて援助的介入が行われます。逆に、たとえどんなに困っていても、その人に共感しなければ愛他心も湧かず、人を助ける行動も起こりません。さらに、共感は無条件に行われるものではなく、「本当に援助を必要としているのか」という「援助の必要性の知覚」と「その人が救うに値するか」という「被援助者の有資格性」を判断して共感という感情を抱くとされています。
今朝の私もこの過程を踏んだのかは分かりませんが、「とにかく何とかせねば・・・」の一心でした。自分のことを振りかえると、子育てするようになり、ことに子どもやその親には、共感の気持ちが強くなったように思います。経験が人の置かれている状況を想像する力に影響しているのかもしれません。
確かに、実際に経験すると同じ境遇の人の気持ちを察することができるようにはなるでしょう。でも、一番大切なのは、想像すること。自分が経験したことを膨らませてちょっと想像してみる。そして、「この人困っていそう」と想像できたら、躊躇なくお手伝いしたいものですね!