少し前のことですが、2月2日は節分でしたね。我が家でも毎年、市販ですが鬼のお面と豆を買い、子供と一緒に豆まきをすることが恒例となっています。翌朝、散らばった豆の掃き掃除と、役目を終えた鬼のお面を捨てようとするのですが、なぜかその面(つら)に哀愁を感じるのでした。そこで、「鬼」について調べてみようと思い立ちました。
中国では紀元前の時代から、死ぬと「鬼(き)」(=死霊)になって冥界で暮らすと考えられていたそうです。鬼は民間信仰、儒教、道教の世界で語られ、仏教が伝来するとその影響も受けたそうです。鬼と神の境界は曖昧で、鬼神をまつることもあれば、呪力によって鬼を使役することもあったようです。疫病も「疫鬼(えきき)」がもたらすと考えられていたようです。
「鬼」の概念は遅くとも、7世紀には中国から日本に伝わり、日本人が受け入れやすいように形を変えていったようです。中国では、”良い鬼” ”悪い鬼” がいるのですが、日本には”悪い鬼”が浸透していったようです。
『日本書紀』にも「鬼」が記されていますが、佐渡島に日本列島の北方に住む種族「粛慎人(みしはせびと)」(アイヌやツング-ス族を指すという説がある)が上陸した際の事件を記しており、島民たちが、「鬼」だと言って近づかなかったとのことです。その後も「続日本書紀」「日本三代実録」などにも「鬼」は登場し、平安時代の陰陽道の浸透とともに、「鬼」の概念は日本人の生活と密接な関係を持ち、いわゆる、うわさ話までも朝廷に報告され、記録されるほどだったようです。ちなみに、中国の「疫鬼」排除の儀式が伝わり、平安京では、疫鬼を日本国外に追い出す行事「追儺(ついな)」が行われるのですが、これが現在の「節分」につながっているのです。
さらに、日本での「鬼」の概念は変遷をとげ、伊豆国に「鬼形者(きぎょうもの)」がやってきたと記す関白藤原兼実の日記「玉葉」もあります。また、人が「鬼」を産むこともあったと記され、体の形状に異常がある子の誕生は怪異とされ、「鬼子(おにご)」として歴史書にたびたび記されています。「鬼子」の誕生は不吉なことの前触れとされ、国家的対処が必要と恐れられ、捨てられることもあったという悲しい史実もあるようです。さらに、女性と鬼が結び付けられた歴史もあります。仏教浸透後、日本社会は男性中心の社会、女性の地位は低く、アウトサイダ-として扱われてきました。一方で、誰もが女性から産まれるわけで、頭は上がりません。だから、女性の地位を抑えようという力が強く働いたのではないかという考察もできます。
このように、「鬼」について書いてきましたが、日本では、「外国からきた人」「生来的に見た目でわかる障害を有している人」「女性」などに対して、得体の知れない、恐ろしい存在に「鬼」が結び付けられてきたのでしょう。今でいう、レッテル貼り、差別、偏見ともとれるのではないでしょうか。
ふとここで、哀愁ただよう鬼のお面、私がそう感じるのは、女性だからだろうか、母親だからだろうかと思いを巡らせます。自分の中に棲む「鬼」、その歴史を吞み込んで「鬼」と共存し、外に「鬼」は作らず、差別や偏見を持たずにいきたい、そう自戒する2月でした。